目次に戻る 本田ゴンザレス松風

世界でいちばん熱い夏

 コンクールは八月六日だった。
彼女も来ていた。
気張っていた。誰よりも。
結果は銀だった。
 本田は泣き虫だった。
事あるごとに泣いては人を困らせた。
「男は人前で弱るな。」
この彼女の教えを胸に泣き虫は克服したつもりだった。
 自分の実力に申し訳なさを感じることはしなかった。
人前で泣くことも決してしなかった。
先輩達は泣いていた。
彼女も少し泣いていた。
本田も家で一人で泣いた。
 先輩は引退する。
まだその事実の整理ができていなかった。
みんな泣いた。
本田も泣きそうだった。
それでも笑って、泣いている同級生を煽ってなんとか保っていた。
 コンクール翌日、最後の合奏が終わり、三年生のいる夏が終わった。
昇降口を出た瞬間に本田の中で何かが音を立てて崩れた。
涙腺のブレーキが壊れ、気付けば泣いていた。
本田は体力づくりのために休日の学校の往復は走ると決めていた。
この日だけは違った。
誰にも見られたくなくて走って誰よりも早く帰った。
 誕生日はもうすぐそこだった。
今年もデートをOKしてくれた。
きっと彼女として覚悟は決まっていたんだろう。
 8月10日、大雨と蒸すような暑さで過ごしづらい日となった。
しかしそんなものは愛の前には意味がなかった。
その日も一日中一緒に遊んだ。
楽しかった。
そう見えていただけだったのかもしれない。
少なくとも本田には楽しんでいるように見えた。
 彼女の笑顔は儚かった。
何かあると、最初から気付いていた。
付き合ってくれたあの日からとっくに気付いていた。
考えないようにしていた。

 本田はフラれた。
父の仕事の事情らしい。
そもそも東京に来たのも同じ理由なのだからむしろよくここまで留まってくれたとすら思える。
東京に戻って来ることもないから遠距離も意味を成さないとの判断で別れた。
 翌日には引っ越し準備、明後日には引っ越すそうだった。
「何て言えばいいんだろうね。」「帰郷おめでとうとでも言えよ。」
「本心でもないくせに。」「私は鬱陶しいのが消えて半分嬉しいが?」
「またまた御冗談を。」「私が嘘なんて言ったことあったか?」
「うへへへ」「うえ」
「泣かないの?コンクールの時みたく。」「殺すぞ。」
「寧ろご褒美だよ。」「はぁ…本田こそ泣かないのか?私はてっきり膝から崩れ落ちるものだと思ってたけど。」
「割り切れてるんだよ。半分くらい納得してる自分がいるの。泣き虫も克服したし。」「そうか。期待外れだったな。」
 木の下というのは長時間大雨を防ぐには不十分だった。
持っていた折りたたみ傘を渡して本田は何も持たず木の下を出た。
「引っ越し前日に風邪とか縁起悪いから暖かくして寝るんだよ。」「どうも。明日引っ越し準備の手伝い来てくれ。傘も返したい。」
21時頃だったか。
ディナーも終え、散歩をしているときにすべてを打ち明けられた。
 雨は降った。
どんどん勢いを強める雨に、本田は走った。
体力づくりのためでも、雨が強いからでもない。
ただ、現実逃避のために走った。彼女から逃げるように。
 頬を伝うこれは涙なのか汗なのか雨なのかはたまた鼻水だったのか。
大雨にとって中学生一人の掠れた叫び声を掻き消すことなど簡単なことだった。
そして生まれて初めて、人気のないところをたくさん知っていてよかったと感じた日だった。
 本田は翌日家に押しかけ引っ越し準備を手伝った。
彼女が幼稚園の頃の写真を飾っていて嬉しくなったのを覚えている。
 今でも連絡は取っている。
画面の向こうに感じられる彼女の姿もどこか虚しい。
住所も送ってもらったので行ったこともあった。
彼女は言った。
「私と結ばれることは絶対にない。だからもう新しい恋を始めろ。」
 完全に他人になった。
捨てられたのだろう。
連絡頻度も随分落ちた。
今ではほとんど無に等しい。
 本田は生きる意味を失った。
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