昼下がり
9,890字 · 約20分
間話「昼下がり」
ルディが出かけた。
オルステッドの事務所に行って、溜まった書類を片付けてくるらしい。
今日は特に急ぎの案件はないはずなんだけど、ルディは「さすがに放置しすぎた」と苦笑いしながら、朝食を食べ終えるとすぐに支度を始めた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。夕飯までには帰ってきてね」
「うん。……ルーシーにも行ってきますって言いたかったんだけど」
「まだ寝てるよ。起きたら伝えとくね」
ルディは名残惜しそうに子供部屋の方を見てから、小さく手を振って出ていった。
ボクはしばらく閉じた扉を眺めてから、ふう、と息をついた。
さて。
今日も一日、始まる。
◇
洗濯物を干していると、庭の方から規則正しい音が聞こえてきた。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ。
エリスの素振りだ。
毎朝欠かさない。雨の日以外は必ず庭に出て、木刀を振る。
起きる時間はボクよりずっと早くて、ルディが出かける頃にはもう汗だくになっている。
最初の頃は、あの音が怖かった。
……嘘。怖かったのは音じゃなくて、エリスそのものだ。
赤い髪を振り乱して剣を振るう姿は、同じ家に住んでいる人のものとは思えなかった。ルディの話で聞いていた「ボレアスの暴力お嬢様」そのままだった。
でも、慣れるものだね。
今はあの音が聞こえると、ああ今日もエリスは元気だなって、そう思う。ボクにとっての目覚まし時計みたいなものになった。
「ママ、おはよー」
ルーシーが目をこすりながら部屋から出てきた。
「おはよう、ルーシー。顔洗っておいで」
「えー……」
「えー、じゃないよ」
ルーシーはまだ眠そうな顔で洗面所に向かっていった。四歳になって、一人でできることが増えた。嬉しいような、ちょっと寂しいような。
洗面所の方からバシャバシャと派手な水音が聞こえてくる。
……うん、まだまだ子供だ。
◇
昼前になって、ロキシーさんが書斎から降りてきた。
「おはようございます、シルフィ」
「おはようございます。……って、もうお昼近いですよ?」
「えっ。もうそんな時間ですか。……すみません、論文を読んでいたら」
ロキシーさんはいつもこうだ。本を読み始めると時間を忘れてしまう。
ルディも似たようなところがあるけど、ルディの場合は途中で「腹減った」と言って降りてくるから、まだわかりやすい。ロキシーさんは空腹にすら気づかないまま没頭する。
教えるのが好きで、学ぶのも好きで、魔術のことになると周りが見えなくなる。
そういうところがルディは好きなんだろうなって思う。
……ボクも、嫌いじゃない。
「ララちゃんは?」
「まだ寝ています。夜中に一度起きてしまったので、少し遅くなるかと」
「そうですか。起きたら教えてくださいね。一緒にお昼にしましょう」
「はい」
ロキシーさんは小さく頷いた。
ボクとロキシーさんの関係は、あの修羅場の日からずいぶん変わった。
……いや、変わったのはボクの方だ。ロキシーさんは最初からずっと同じで、遠慮がちで、控えめで、自分の居場所を小さく小さく見積もっている。
あの日、ロキシーさんが荷物をまとめて出ていこうとした時、ボクは咄嗟に手を掴んだ。
今でも、あれは正しかったと思っている。
だって、ロキシーさんはルディの師匠だ。ルディを外に連れ出してくれた人。ルディがこの世界で本気で生きようと思ったきっかけの人。ボクがルディと出会えたのも、ロキシーさんがいたからだ。
そう考えると、感謝しかない。
……嫉妬がゼロかと聞かれたら、嘘になるけどね。
◇
「手伝うわ」
昼食の支度をしていたら、エリスが台所に入ってきた。
素振りを終えて水浴びを済ませたらしい。赤い髪がまだ少し湿っている。
「いいの? エリスは午後から鍛錬場の方に行くんじゃなかった?」
「午前中に済ませたから暇なのよ」
暇。
エリスの口からその言葉が出ると、少し不思議な気持ちになる。剣の聖地で何年も修行してきた人が「暇」って。
でも、最近のエリスは、たまにこうして台所に来る。
「じゃあ、この芋を切ってもらえるかな」
ボクはまな板の上に芋を置いた。煮込みに入れるつもりだから、一口大に切ってくれれば十分だ。
「任せなさい」
エリスは包丁を握った。
握り方が完全に剣だ。
ダンッ。
「……エリス」
「何よ」
「一口大でいいんだよ。そんなに力入れなくても」
「切れたでしょ」
「切れたっていうか……砕けてるよね」
まな板の上には芋の破片が散らばっていた。一部は床にまで飛んでいる。
「ちっ」
エリスが舌打ちした。
この人は料理に関しては何年経っても上達しない。剣の才能の千分の一でもいいから、こっちに回ってくれないものか。
「あの、わたしがやりましょうか」
ロキシーさんがいつの間にか台所の入り口に立っていた。
「……いいわよ、代わって」
エリスが包丁を置いた。
悔しそうにするでもなく、潔い。自分の不得手を瞬時に認めて、得意な人間に任せる。戦いの中で培われた判断なんだろう。
ロキシーさんが包丁を受け取って、小さな手で器用に芋を切り始めた。
トン、トン、トン。
リズミカルで気持ちのいい音が台所に響く。
「ロキシーさん、いつも上手ですよね」
「冒険者時代に覚えましたから。自炊しないと飢えますし」
ロキシーさんは一瞬手を止めて毛先を耳に掛け直し、また芋を切り始める。
エリスは腕を組んで、ロキシーさんの手元をじっと見ていた。
眉間にしわを寄せて。
何かを学び取ろうとしているのか、ただ悔しいのか。この人の場合、どっちもありえる。
「ママー、おなかすいたー」
ルーシーが台所を覗き込んだ。その後ろから、目を覚ましたララがよちよちと歩いてくる。
「もう少し待ってね」
ボクはルーシーの頭を撫でた。
ララはまっすぐロキシーさんのところに行って、足にしがみついた。
「あっ、ララ。今は包丁を持っているので……」
「ろきしーまま」
「はい、はい。少し待ってくださいね」
ロキシーさんが困った顔で包丁を置いて、ララを抱き上げた。
こういう時のロキシーさんの表情が、ボクは好きだ。普段の「控えめな師匠」の顔がほどけて、ただのお母さんの顔になる。
◇
昼食は五人で食卓を囲んだ。
ボクとロキシーさんとエリス。ルーシーとララ。
リーリャさんには「一緒にどうですか」と声を掛けたんだけど、「わたしは後でいただきます」とやんわり断られた。
ルディがいる時は一緒に食べてくれるのに、いない時は遠慮するんだよね。あの人は。
昼食の間、会話は途切れ途切れだった。
ロキシーさんは食事中にあまり喋らない。エリスはそもそも雑談が得意じゃない。ボクが何か振らないと、この食卓は沈黙に包まれてしまう。
でも、それは嫌な沈黙じゃない。
ルーシーがスープをこぼす。ララがそれを見て笑う。ロキシーさんが慌てて布巾で拭く。エリスが「行儀が悪いわ」と眉をひそめる。ボクがルーシーのスプーンの持ち方を直してあげる。
言葉がなくても、この食卓はちゃんと動いている。
……あれ。
ルディがいない食卓なのに、寂しくないかも。
◇
午後になって、雨が降り始めた。
シャリーアの初夏は天気が変わりやすい。朝は晴れていたのに、昼過ぎには灰色の雲が空を覆ってしまった。
エリスが窓の外を見て、小さく舌打ちした。
「午後も振るつもりだったのに」
「家の中でやる?」
「家具が壊れるからやめなさいよ」
……それはそうだ。
前に一度、居間で素振りをしたエリスが、棚の上の花瓶を吹き飛ばしたことがある。風圧で。ルディが「うちの嫁は室内で竜巻を起こす」と頭を抱えていた。
仕方なく、エリスは居間のソファにどかっと座った。
普段ならこの時間は鍛錬場に行っているか、後輩に剣を教えているか、オルステッドさんのところに顔を出しているか。家の中だと持て余して、ちょっと危なっかしい。
ロキシーさんも降りてきた。
書斎は窓が小さいので、雨の日は暗くなる。明かりの魔術を使えばいい話なんだけど、「目に悪いですから」と言って居間に本を持ってくるのが常だ。
ルーシーとララは寝室でお昼寝をしている。リーリャさんが付き添ってくれている。
つまり。
居間にいるのは、ボクと、ロキシーさんと、エリスの三人だけだ。
こういう状況って、実は珍しい。
普段はルディがいるか、子供たちがいるか、誰かが外に出ているかで、三人だけで同じ部屋にいることがほとんどない。
ボクは編み物を取り出した。ルーシーのセーター。成長が早くて、去年編んだものはもう着られなくなった。
雨の音。
ロキシーさんがページをめくる音。
エリスがソファの上で足を組み替える音。
静かだ。
「ねえ」
エリスが唐突に口を開いた。
「何?」
「あなたたち、普段こんなに静かなの?」
「こんなにって?」
「ルーデウスがいない時。いつもこう?」
エリスはソファの背もたれに頭を預けて、天井を見ている。
「そうだね。ルディがいないと、わりと静かかも」
「ルーデウスがいると騒がしいものね」
「ルディが騒がしいっていうか、ルディがいると話題ができるんだよ」
ボクがそう言うと、ロキシーさんが本から顔を上げた。
「確かに、ルーデウスは話題の中心にいることが多いですね」
「というか、ボクたちの共通の話題がルディしかないっていうか……」
言ってから、ちょっと変な空気になった。
三人の共通点は「ルーデウスの妻」であること。
冷静に考えれば当たり前のことだ。ボクはルディの幼なじみで、ロキシーさんはルディの師匠で、エリスはルディの教え子。三人が繋がっている点は、全部ルディだ。
「……別にいいんじゃないですか」
ロキシーさんがぽつりと言った。
「えっ?」
「共通の話題が一人しかいなくても、その一人が大事なら、それで十分だと思いますけど」
ロキシーさんは本のページに目を落としたまま、淡々と続けた。
「わたしは冒険者時代、仲間と過ごす時間が好きでした。でもあれは、冒険という共通の目的があったからこそ成り立っていたんです。目的がなくなれば、自然と離れていく。……そういうものです」
「じゃあ、ボクたちも目的がなくなったら離れるの?」
「いえ。わたしたちの場合は、目的ではなく人ですから。人は、目的よりずっと長く続きます」
ロキシーさんは時々、こういうことを言う。
普段は控えめで、自分を低く見積もっているくせに、ふとした瞬間に、すとんと腑に落ちる言葉を出す。
師匠って、こういう人のことを言うのかもしれない。
「……ロキシーは時々、いいこと言うわね」
エリスが少し意外そうな顔をした。
「そうですか? わたしは当たり前のことを言っただけですが」
「当たり前のことを当たり前に言えるのが偉いのよ。私にはできないもの」
エリスはそれだけ言って、また天井を見た。
ロキシーさんはまだ本を見ていたけど、耳が少し赤くなっていた。褒められるのに弱い人だ。
ルディが「ロキシーはチョロい」って言ってたのを思い出す。失礼な言い方だけど、間違ってはいない。
◇
しばらく、三人とも黙っていた。
雨の音だけが部屋を満たしている。
嫌な沈黙じゃない。同じ空間にいて、別々のことをしていて、でも一人じゃない。そういう沈黙だ。
「……ねえ」
またエリスが口を開いた。今日はよく喋る。暇だからだろう。
「うん?」
「あなたたち、ルーデウスのどこが好き?」
唐突すぎる。
ボクは編み物の手を止めた。ロキシーさんも本から顔を上げた。
「急にどうしたの」
「別に。暇だから聞いてるだけよ」
エリスは天井を見たまま、足をぶらぶらさせている。
「えと、ボクは、そうだなあ……ルディが、ボクのことを対等に見てくれるところ、かな」
「対等?」
「うん。ボクが緑の髪でいじめられてた時、ルディだけが『綺麗な色だ』って言ってくれた。かわいそうだからじゃなくて、本気でそう思ってくれてた。……あの時から、ルディはボクを一人の人間として見てくれてたんだなって」
言いながら、少し恥ずかしくなった。ボクは耳の裏をポリポリ掻く。
こういう話、普段はしない。ルディにも改まっては言ったことがない気がする。
……えへへ。
「わたしは」
ロキシーさんが静かに言った。
「わたしは、ルーデウスの……努力する姿勢、でしょうか。彼は生まれつき魔術の才能がありましたが、それに甘んじることなく、常に上を目指していました。わたしが師匠だった頃から、教えたことをすぐに吸収して、さらにその先を自分で考える。……正直、教えがいがありすぎて、少し怖いぐらいでした」
ロキシーさんは少しだけ笑った。珍しい。
「師匠としての贔屓目もあるかもしれませんが」
「いえ、贔屓目じゃないと思いますよ。ルディは本当に努力家ですから」
ボクがそう言うと、ロキシーさんの耳がまた赤くなった。三つ編みの先を指でくるくるいじりながら、視線を本に戻している。
「エリスは?」
ボクが聞き返すと、エリスはしばらく黙っていた。
天井から目を逸らさないまま、腕を組んだり解いたりしている。
「……全部よ」
短い答えだった。
「全部?」
「全部。ルーデウスの全部が好き。どこがとか、そういうのはわからないわ。考えるのが苦手なのよ、私は」
エリスはそう言い切ると、ふんと鼻を鳴らした。
考えるのが苦手。
エリスはよくそう言う。実際、この人は自分の感情を言葉にするのが上手じゃない。でも、「全部」という一言に、この人の全部が詰まっている気がした。
ボクがどこが好きかを一つ選ぼうとしたのとも違う。ロキシーさんが師匠としての目線で語ったのとも違う。
エリスは、理屈じゃなく、丸ごと好きなのだ。
それはたぶん、三人の中で一番強い。
「……あはは」
ボクは思わず笑ってしまった。
「何よ」
「ごめん。三人とも全然違うなと思って」
「違って当然でしょう」
「そうだね。……でも、なんか安心した」
「安心?」
エリスが首を傾げた。
「えと……同じところが好きだったら、たぶん、もうちょっと辛かったかも、って」
ボクがそう言うと、ロキシーさんが小さく頷いた。
「……それは、そうかもしれませんね」
……うん。
よかった。
◇
雨脚が強くなった。
窓の外が白く煙って、向かいの家の屋根がぼんやり霞んでいる。
エリスがふと黙った。
さっきまでの軽口とは違う、少し重たい沈黙だった。
ボクは気づいた。
エリスの視線が、寝室の方に向いている。ルーシーとララがお昼寝している部屋だ。
「……」
エリスは何も言わない。
腕を組んで、口をへの字に結んで、じっとそちらを見ている。
組んだ腕の中で、拳が一度握り直された。
ボクには、わかる。
ボクにはルーシーがいて、ロキシーさんにはララがいる。
エリスには、まだいない。
ルディは「焦る必要はない」と言っている。エリスも「別に気にしてないわ」と言う。でも、この家で毎日子供たちの声を聞いて、二人の母親が子供を抱き上げるのを見て、何も思わないはずがない。
エリスは考えるのが苦手だと自分で言う。でも、考えないようにしているのと、考えられないのとは違う。
たぶん、エリスは考えないようにしているんだ。考えてしまったら、自分が折れるって知っているから。
ボクは何も聞かなかった。
聞いたところで、エリスが答えるとは思えない。この人は、弱さを言葉にしない。
代わりに、ボクは立ち上がって台所に行った。
お湯を沸かして、お茶を淹れた。三人分。
エリスの前にカップを置く。ロキシーさんの前にも。
「ありがとう」
ロキシーさんが小さく言った。
エリスは何も言わずにカップを手に取った。一口飲んで、少しだけ表情が緩んだ。
「……明日、天気が良かったら、三人で出かけない?」
ボクは自分のカップを両手で包みながら言った。
「……は?」
「市場に行こうよ。ルーシーとララも連れて。エリスが荷物持ちしてくれると助かるんだけど」
「荷物持ち?」
「エリスなら、どれだけ買い物しても持てるでしょ」
「……まあ、それはそうだけど」
エリスが少し目を丸くした。
「何を買うのよ」
「ルーシーの靴。あと、ララの帽子。あと……エリスの分も何か見ようよ」
「私の? 別にいらないわ」
「木刀とか」
「木刀を市場で買ってどうするのよ」
エリスが呆れた顔をした。でも、その口元は少しだけ上がっている。
「わたしも、ご一緒していいですか」
ロキシーさんが控えめに手を挙げた。
「もちろん。ロキシーさんも何か欲しいもの、ないですか?」
「そうですね……魔術書の新刊が出ているかもしれません」
「また本?」
「本は裏切りませんから」
ロキシーさんが真顔で言った。
エリスが「つまんないわね、あなたたち」とため息をついた。
でも、断らなかった。
◇
夕方、雨が上がった。
西の空が橙色に染まって、濡れた石畳がきらきら光っている。ルーシーが窓に張りついて「きれいー!」と叫んでいる。ララはルーシーの真似をして窓をべたべた触っている。
「ただいまー」
玄関の扉が開いて、ルディが帰ってきた。
「おかえり、ルディ」
「おかえりなさいませ」
「おかえり」
三人の声が重なった。
ルディが目を丸くした。それから、照れくさそうに笑った。
「おお、三人揃って。珍しいな」
「雨だったから、みんな家にいたの」
「そうか。……いいな、なんか。帰ってきた感じがする」
ルディはそう言いながら靴を脱ぎ、「ルーシー、ただいまー」と手を振った。ルーシーが「パパー!」と窓から離れて走ってきて、ルディの足に抱きつく。ララもよちよちと後を追う。
「おっと、二人とも。パパは一日働いてきたんだぞー」
ルディがルーシーを抱き上げて、空いた方の手でララの頭を撫でる。器用だ。
エリスがその光景を少し離れたところから見ていた。
腕を組んで、壁にもたれて、黙って。
その目が、少しだけ柔らかかった。
ルディがエリスに気づいて、笑いかけた。
「エリス、今日は家にいたのか。珍しいな」
「雨だったから仕方ないでしょ」
「明日は晴れるといいな」
「明日は出かけるわ」
「鍛錬場?」
「市場よ。この二人と」
エリスがボクとロキシーさんを顎で指した。
ルディが驚いた顔をした。すごく驚いた顔をした。
失礼な反応だと思ったけど、まあ、気持ちはわかる。
「へえ……いいな。仲いいじゃないか」
「別に。荷物持ちを頼まれただけよ」
「エリスが荷物持ち……最強の荷物持ちだな」
ルディがにやにやしている。エリスが「うるさいわね」と背を向けた。耳が赤い。
ロキシーさんがララに向かって「パパにお帰りは?」と促した。
「ぱーぱ、おあえい」
「おう、ただいま、ララ」
ルディがララの頬をつついて、ララがきゃっきゃと笑った。
ボクはその光景を見ながら、ふと思った。
今日の昼下がり、なんだか、あったかかったな、って。
ぎこちなくて、不器用で、沈黙の方が多くて。
でも、嫌じゃなかった。
……えへへ。
「シルフィ、どうかした? ぼーっとして」
「ん、何でもないよ。ごはんの支度するね」
「手伝おうか?」
「大丈夫。ルディはルーシーと遊んであげて。朝、行ってきますが言えなかったって、しょんぼりしてたから」
「あー、悪い悪い。早く出すぎたかな」
ルディがルーシーを連れて居間に向かった。
台所に行く途中、エリスとすれ違った。
「明日、何時に出るの」
「朝の素振りが終わってからでいいよ」
「わかったわ」
エリスは短く頷いて、自分の部屋に向かった。
ロキシーさんがララを寝かしつけてから、台所に来てくれた。
「何か手伝いましょうか」
「じゃあ、サラダをお願いしてもいいですか?」
「はい」
二人で並んで夕食を作る。
雨上がりの空気が窓から入ってきて、少しひんやりして気持ちいい。
「シルフィ」
「はい?」
「今日は、楽しかったです」
ロキシーさんが小さな声で言った。包丁を動かしながら、こちらを見ないで。
ボクは少し笑った。
「ボクもだよ」
居間の方から、ルーシーの笑い声と、ルディの「こら、髪を引っ張るな」という声が聞こえてくる。
明日、市場から帰ってきたら、ルディに自慢しよう。
三人で出かけてきたんだよ、って。
ちょっと得意げに、ね。
ボクは耳の裏をポリポリ掻いてから、包丁を手に取った。