「時の流れが違う話」
8,641字 · 約18分
かつて、不思議な友人が二人いた。尤も、友人と言うにはいささか年上ではあるのだが。
幼い頃、家の近くには、路地裏やら、空き地やら、ドラム缶やら、土管やら、そういうものがたくさんあった。いわゆる開発から取り残された、それでいて高度経済成長期の遺物も残された、中途半端な田舎であったように思う。
住んでいる人は皆よく言えば素朴で、悪く言えばやはり田舎臭い。同年代の男子はみんな雑木林とカブトムシに夢中で、女子は大抵それを軽蔑していた。
それでいて女子も休みの日は電車で三十分も乗ったデパートに行くぐらいしか娯楽がないので、結局大差がないと言えばその通り。
要するに鄙びた、されど平和な町だった。
わたしはその女子の中でも冷めた方で、ちょっとばかりズボラで、おばあちゃん子で、実は農作業は嫌いじゃなかった。だから、いじめられこそしなかったけど、若干浮いていたように思う。
彼女らにとって友人と呼ぶべきものは、雑誌のアイドルや少女漫画のヒーローに一緒になって恋をして、デパートで一緒にかわいらしい服を買って、ちょっとメイクに手を出してみたりして、そんなふうにきゃいきゃいと騒げるような仲間だったのだろう。
そんなわたしには、年上の友人がいた。学校の誰も知らない友人たちだった。最初の頃は名前も知らなかったが、たまたま店内で出会った他のお客さん……その人も綺麗な銀髪の外国の人で、もっと言えば後々もう一人の友人になる……がルークさんと呼んでいるのを聞いて、釣られるようにそう呼んでいた。
黒く、長い髪に、うっすらと白く見える毛先。どこか歌うような調子の低い声。冬でも夏でもひんやりとした店内には似つかわしい、それでいてこんな田舎には少し場違いな、豪奢なロングコート。
クラスメイトがこぞって夢中になっているアイドルやヒーローなんかよりよほど洗練された雰囲気で、彼が穏やかに紅茶を飲む姿などは特に、中世の英国貴族が本の中から抜け出てきたようだった。
耳障りの良い彼の言の葉に耳を傾けながら、彼の店が扱う古びた物品の来歴を聞くティータイムが一等好きだったので、三日にいっぺんは出かけていたような気がする。
だから、あの日……小学校を卒業する日も、私は彼の店に遊びに行った。
「ルークさん、来たよ!」
路地裏を抜けると、ふっと目の前が開け、急に明るくなる場所がある。彼の店はちょうどそこにあり、まるでそこだけ別世界のようだった。
綺麗な筆記体で【OPEN】と書かれた看板のかかる古びた上品な黒いドアを、ノックと言うには少々乱暴にゴンゴンと叩き、いつもの通り中に入る。からんからんと音を立てるドアベルは、その日もわたしを歓迎するように軽やかに鳴っていた。
「いらっしゃい……いえ、貴方でしたか。ようこそお越しくださいました。」
くるりと振り返った店主は、相も変わらず美しいと形容するのが一番しっくりと来るような笑顔だ。
少々お待ちください、と言い残し、彼は奥の部屋に向かう。
しばらくして戻ってくると、手にはホカホカと湯気を立てるポットが握られていた。
「おやおや、今日は随分とおめかしをなさっているようですね。日本の礼服……確か、袴ですか。」
「そ! 卒業式だったんだー。そう言うルークさんは、今日もオシャレだね。」
「ふふ……貴方のような小さなお姫様からお褒めに預かるとは、僕のようなものには随分な光栄と言えるでしょうね。」
さあ、紅茶をどうぞ、と、話しながらも流れるような手つきで淹れていた紅茶をカップに注ぎ入れると、アンティーク調の円卓から椅子を引き、座るように促してくれる。
そうするといつでもわたしは彼が言う通りいっぱしのお姫様のような気分になって、満足気に椅子にぴょんと飛び乗ったものだ。
大きな古鏡に映る今日のわたしは着物のおかげもあって、それこそお姫様そのものに見えた。どっちかというと、レディというよりは武家屋敷の姫だけど。
目の前に置かれたカップに思わずすん、と息を吸い込むと、上品な良い香りがする。
「えっと……レディ・グレイ?」
「正解です。良く覚えておられるようだ。」
「だってこれ好きだもんねー。」
「では、何かご褒美を差し上げなくてはなりませんね……ああ、そうだ。今日だけは二つ、お菓子を食べても良い事にいたしましょう。」
二つ。いつもは歯に悪いとか、甘すぎるとか、紅茶に合わないとか言って一つしか食べさせてくれないあのカップケーキが、二つ。
思わず喉がごくりと鳴ってしまう。あぁ、一体何を食べようか。定番のチョコか、ちょっと冒険して大人なジンジャーか、意外とイケるホワイトチョコにマーマレードか……いちごも美味しいし、ココナッツだって捨てがたい。
わたしがうんうん唸っているうちに、またカランとドアベルが鳴る。いつでも閑古鳥が好き勝手にくけーくけーと……鳴き声が合っているのかは知らないが……鳴き喚いているここで他のお客さんと居合わせるのは、中々珍しい。
……ついでに言えば閑古鳥とやらの鳴き声は多分こんなんじゃないが、それはそれ。
「おや、今日はキミもいたんです? しかもオシャレな着物も着て。せっかくのティータイムにお邪魔しちゃいましたかね、ルークサン?」
黒いドアとは対称的なさらさらとした銀の髪に赤い瞳の綺麗なひとがスラリと入ってくる。思わず目を見張るほどで、それでいてどこか人形のような彼女が、もう一人の不思議な友人。大人のハズなのにちょっと大人気なくて、いつだって軽やかで陽気な面白い人。
彼をルークさんと呼んでいた常連である、ブレンダさんだ。
「いえいえ、彼女にとっても君は良い友人ですから。第一来店に感謝こそすれど、店主の僕が客を邪魔だなんて思う筈がありませんよ。良ければ君も、紅茶の一杯ぐらいは如何でしょう?」
「そうですよう。ブレンダさんの話、わたし面白くて好きだし。」
というか、わたしが勝手に入り浸ってるだけだ。お店の邪魔とか、よくないよくない。何せ、今まで小さい雑貨とかしか買ってないんだし。
ことり、とブレンダさんが円卓に着いたのとほぼ同時に、ルークさんも腰を下ろす。
「おや、そうなんですか? ふふ、嬉しいですとも。では、ご相伴に預かるとします! さあて、カップケーキはどれにしましょうか……」
「あ! ブレンダさんてばズルい、先にチョコ味取ったな! 今悩んでたのにぃ……」
「へっへーん、こんなの早い者勝ちですよ! 食卓は戦場、でしょう? 難しいことなど考えず、ただひたすらにいただくのみ、です!」
「これはこれは……ふふ、健啖家のレディが二人に増えてしまいましたね……」
「「失礼な!」」
ブレンダさんと二人で顔を見合わせて、くすくすと笑う。本当に、本当に、あの時は心の底から楽しくて、ずっと続けば良いのにと思うくらいだった。
「……はぁ。」
「どうかしたんです? 浮かない顔ですねぇ。そんなにチョコ味が食べたかったなら、食べさしでも良ければキミにあげますけど。」
「いえ、そのような事をせずとも……少々お時間を頂ければ僕がもう一つ、新しいものを出して参りますよ。」
「ち、違うもん!」
ブレンダさんは相変わらずけろけろと笑っているし、ルークさんも相変わらず涼やかな微笑。
だけど全部見抜かれてる気がして、この二人になら相談しても良いような気がして、ぐちゃぐちゃになった頭のまま一口紅茶をすする。まだあったかくて良い香りのするそれは、ふわりと何かを解かしていくような感じがした。
「……実はさ、もうここ来られないんだよ。」
パパもママも、パパとママでいるの嫌になっちゃったんだって。
そう呟いた声が、妙に大きく響く。発作的に、急に誰かが入って来て、無理矢理この話がお開きになってくれたりしないかな、なんて思ったけど、当然そんなことはない。
「おや……離婚、ですか。」
「うん。理由聞いてくれる?」
「そりゃあ、キミが話したいなら構いませんとも。ルークサンだって問題ないでしょう?」
ええ、と彼がうなづいたのを見て、羊毛フェルトみたくふわふわとした考えを、どうにかピンでつくつくと突き刺してまとめる。出来上がったのは色んな色が混ざった黒い塊で、もう何を作りたかったのかすっかりわからない。
「んー……わたしのパパとママでいるのは嫌じゃないけど、パパとママは喧嘩したんだって。……わたしだってそんなに子供じゃないから、理由ぐらいはっきり言えば良いのにね。」
それでもなるたけ重たく聞こえないように、中にずっしりと石を隠したそれをポンと放り出した。いっそぶちまけてしまいたくもなるけど、それをしたらわたしはただの無力な子供になってしまう。
もちろんそれでも二人は慰めてくれるんだろうけど、この二人とまだ対等な友人でいるためには、きっと泣いたり喚いたりしない方がいいと思ったのだ。
「えっと、それでね。ママの方のおばあちゃんが住んでる東京にわたしとママが引っ越すの。クラスの子なんか、離婚だって知らないから呑気に良いなぁって羨ましがっちゃってさ。」
思わず、にへら、と笑う。心配いらないよと示したかった。上手く笑えているんだろうか。
少なくとも、東京に行っても友達だよ、なんて言ってちまちまとした宝物をたくさん押し付けてきたクラスの子の前よりは笑えていない、と思うけど。
だってあの子たちはただ単に私が東京に行くのが羨ましかっただけで、ついでに言えば多分、東京に行ったわたしから何かしらの返礼がある事をほんの少し期待してもいただろう。
ゲンキンだけど憎めないし、期待には応えてあげたい。だって、立場が違えば、何も知らなければ、わたしもきっと同じことをしていたから。
そうなると泣くわけになんていかなくて、さも幸せです、わたしは田舎から出ていく素敵なお姫様です、でもみんなと離れるのだけは寂しいな、もちろんずっと友達だよ、みたいな顔で、ちょっとだけ自慢なんてしちゃったりして。
でも今古鏡に映ったのは、今にも泣きそうな、ぐちゃぐちゃのわたしだった。
ふむ、とルークさんが紅茶を一口。へえ、とブレンダさんがカップケーキの最後の一口をお腹に収めた。わたしの手元には相変わらずカップケーキはないし、紅茶もとっくになくなっていた。
「それはまた。随分と貴方には残酷なお話ですねえ。」
音も立てずにカップをソーサーに置いて、ルークさんはそう一言だけ言った。かわいそう、でもなく、大変だったね、でもなく。あまりにも普段のままの調子で言うので、わたしの方が拍子抜けしてしまう。
「残酷? 残酷って、虫とか動物とかをひどい殺し方したり、叩いたりする事じゃないの?」
「人間とて動物ですよ。第一、外傷がないから残酷ではない、だなんて……その様な恐ろしい事、一体誰が言えましょうか?」
どういう意味なのかさっぱり分からないのに、不思議とルークさんの言葉がストンと頭に入る。ほしかった言葉とか、そういうのではないけれど、なんだか納得できそうな気がした。
「そういうものなの?」
「ええ、きっと。」
「よく分かんない。」
「これは失礼。小難しい言の葉は、長く生きたもの……いえ、僕ら大人の特権ですから。」
ルークさんはそう曖昧に笑い、また紅茶を口に運ぶ。煙にまいているようにも見えるし、真剣であるようにも見える。その姿はやっぱり貴族のようで、やっぱり美しいとしか言いようがなかった。
「では、僭越ながら私からは、もう少し単純なアドバイスを差し上げましょうか。」
軽やかに笑うブレンダさんも、やっぱりいつもと変わらない。
「なぁに簡単です。……またココに来れば良いんですよ。」
「もう、そんなに簡単じゃないってば。」
「人間その気になれば、家出でもなんでもできますとも。というか、ムリならムリで大人になってからでも良いワケですし。」
かく言う私も、今は仕事から逃げて来たトコロですとも……そうへにょんとした笑みを形作る口元には、冗談の色なんてほんのひとかけらだってなかった。あるのは、唇にチョンとついたカップケーキのチョコレートのあとだけ。
ブレンダさんもそれに気づいたのか、ペロリと舌で掬い取った。
「……あ、お行儀。」
「ふふ、見られてしまいましたか。でもね、大人だって大体こんなモノなんですよ。」
「そっかぁ……」
「そうですとも。」
こうなるとなんだかすごく心が軽くなったような気がして、カップケーキを手に取った。こんがりときつね色の、まっさらなプレーン。ふわふわでふかふかで、一番上はちょっとカリッと。
「ジンジャーはやめた。大人の味だもん。」
「ふふ、ではそのジンジャーは僕がいただくとしましょうか。」
「じゃあ私はもう一つ、今度はイチゴを……」
「待って、いちご二番目に食べたい。半分こ。」
「むむう……ではもう一つはどうするんです? 半分こならもう一つ、味を選べるでしょう。」
そんなの決まってる。
「チョコ。で、次来た時に半分こしよ!」
「おやおや、これはまた随分と可愛らしいお約束ですねえ。ブレンダ、君、毎日此処にくる事になるのでは?」
「ふふ、ですねぇ。キミもなるべく早めに来てくださいよ?」
もぐもぐとプレーンのカップケーキにかぶりつき、ルークさんに紅茶のおかわりを注いでもらい、ブレンダさんからいちご味も半分もらって、またかぶりつく。
少し冷めてしまっていたけど、記憶に残る味だった。
「あ! 暗くなっちゃう……そろそろ帰らなきゃ。」
これあげる、とお気に入りのキラキラペンとピン留めをクラスの子よろしくルークさんとブレンダさんにそれぞれ押し付けて、外に出てパンパンと食べカスを払う。
「ええ、また会いましょうね!」
「もう少し時間があればしっかりとした餞別の品をご用意したのですが……あぁ、けれど、この鏡などはそう悪くはないでしょう。」
売り物の棚から手に取って、ルークさんはするりと私に小さな木彫りの入ったコンパクトを手渡す。
「意外と重い……」
「おやおや。ですがきっと、貴方の様なレディには中々便利な物ですよ。何しろ、出先でも身だしなみを整える事ができますからね。」
身だしなみなんて整えなくても生きていけそうなほど綺麗な人に言われると、なんだかちょっと説得力がない。
「というか、本当にもらっちゃっていいの? なんか高そうなんだけど……」
「妙な事を気にされますね。友人同士は、この様なものを送り合うのでしょう? それに僕にとっては、貴方が下さったこのペンの方が余程価値ある贈り物ですよ。」
とても嬉しそうに安物のペンを見つめるルークさんに首を傾げていると、ブレンダさんがけろけろと笑い声を上げた。随分とおかしそうに、目元を拭っている。
「ルークサンは変わり者ですからねぇ。この店で扱ってるのだって、かつて誰かの日用品だったモノばかりですとも。人が大切に使った痕跡とか、そういう些細な日常が刻まれたモノが彼にとっては素晴らしく見えるんだそうで。」
「……んー? そうなのかなぁ……」
まぁ、ルークさんが良いならいっか。
「じゃ、またね。いつか絶対、もう一度ここに来るから! なんならこのコンパクトもきっちり大事に使い込んで、二人に見せてあげる!」
そうして手を振って家に帰って、遅かったことをちょっと叱られて、最後の荷物を手に持って、普段着に着替えて列車に乗る。
おばあちゃんと一緒に手入れした、どんどん遠くなっていく田んぼを見ていると妙に悲しかったので、こんな田舎に興味も未練もないと言い聞かせる代わりに目を逸らした。
中学からは東京の学校に通い始め、そうなると途端に忙しくなった。
順調に高校まで進んだが、今度は流行りに乗ったのか母親への対抗心か、ともかくいわゆるスケバンのような格好をし始めて、随分と苦労させただろう。一度浪人して大学に行ってもファッションが変わっただけでやる事は大して変わらず、要するに跳ねっ返り娘。
ここまで来るとそんな約束もあったなぁとたまにぼんやりあの日の紅茶の味を思い出す程度で、わたしの中ではすっかり幼い頃の一ページへと成り下がっていた。
大人になっても、それは変わらない。バブル崩壊の直後に社会に出た世代のわたしは忙しい忙しいと日々に追われて、まともに息をつく暇なんてなかった。
どうにかこうにか合間を見つけて帰省するとしても、父方の実家は数年に一度向かえばまだ良い方だった。
……そうしてそのうちに、わたしは彼らを思い出す事すらもなくなっていた。
日常は、ある日突然一変する。数年に一度の帰省を除けば、年賀状ぐらいしか送らない薄情な社会人である自分を当たり前のように迎えてくれた大好きなおばあちゃんが、最近ぽっくりと死んでしまった。
最後ちょっと認知症を患ってはいたけれど、大往生、というやつだったらしい。
「んー、やっぱ田舎って良いなぁ……」
そんなわけで。久しぶりに、東京からおばあちゃんの家……より正確に言えば、おばあちゃんの家だったところに来ていた。
お父さんの方のおばあちゃん。若い頃はバリバリに働いていたらしいけど、記憶の中にいるのは猫と縁側が似合う、不思議な話と農作業が得意なしわくちゃのおばあちゃんだった。
若い時のおばあちゃんによく似ていると言われてたくさん可愛がってもらった身としては当然悲しいし、知った時はたくさん泣いたけど、一か月も経てば少しは前を向いている。
……まあ、現実逃避してるだけとも言えるかもしれないけど、それはそれ。
相変わらず開発から取り残されたような空き地を通り過ぎて、路地の裏を抜けるのがおばあちゃんの家から駅への近道だった。
形見分けとしてもらったもののいくつかをバッグにしまいながら、路地裏に入る。ついでにその中のコンパクトで、ちょっと前髪も整える。うん、身だしなみって大事。
「あれ……こんな道あったっけ。」
普段の曲がり角の一つ手前。ふっと目の前が開け、急に明るくなる。ふらり、と立ち寄ったところには、黒くて重たそうな古いドア。【OPEN】と綺麗な筆記体で書かれたかけ看板に、思い出すものが一つだけ。
「……あ!」
喜び勇んでドアを叩く。ノックと言うには少しオーバーに。けれど、決して乱暴ではないように。見た目通りに重いドアを引くと、歓迎するようにドアベルがカランと鳴った。
「いらっしゃいませ……おやおや。ふふ、随分とお待ちしましたよ。」
「えぇ、えぇ。キミのために毎日ココに来たんです、待ちくたびれたと言っても……いえ、それほどでもありませんか。」
ふふ、と楽しげに、中にいた二人は目を見合わせる。一方は黒く、長い髪に、豪奢なロングコートの美しい男性。もう一方は銀のやや短い髪に、赤い瞳の綺麗な女性。どちらも若々しく、楽しげで、そっくりそのままだ。
すうと息を吸い込むと、レディ・グレイとカップケーキのいい香り。
「初めまして! もしかして、あなた達がおばあちゃんの言ってた骨董屋さん?」
そう、“私”が初めて嗅ぐ、おばあちゃんの不思議話の中のティータイムの匂い。
今まで見た事がなかったし、てっきり作り話だと思っていたけど、本当だったんだ!
そう興奮する私とは裏腹に、今度は二人とも、驚いたように目を見合わせる。
「……という事は……僕らも礼節としては初めまして、と言うべきなのでしょうね。」
「ふふ、そうでしたか。お孫さん……何しろよく似ているので、つい。いやぁ、しかしあの約束……結局叶いませんでしたねぇ。辿り着けなかったんでしょうか?」
「……? なんですか、それ?」
「おや、どうやらあのお姫様はそこだけはすっかり忘れておられたらしい。」
茶目っ気に溢れる穏やかな笑顔でそう言った黒髪の男性は、ぺこりと美しい礼をする。銀髪の女性は、その後ろの円卓でいかにも楽しそうに手を振っている。
「初めまして。そして当店にようこそ、お客様。僕の事は、どうかルークとお呼びください。」
「私はブレンダです! えぇ、どうぞこれからよろしくお願いしますね!」
そうだ! あの約束、アナタのお祖母様の代わりにアナタと叶えてしまいましょうか? とルンルンでチョコレート味らしきカップケーキを手に取ったブレンダと名乗る女性に、私は思わず首を傾げたのだった。