第二話〜見てはいけないもの〜
近くの喫茶店に入ると、外の雨音が一気に遠ざかった。
ガラス越しの街は滲んで、まるで別の世界みたい
だった。
窓際の席に座る。
結乃は、両手でカップを包むように持っている。
「……で、何があったの」
私が聞くと、彼女は少しだけ肩をすくめた。
「昨日の夜、帰り道で……」
言葉が、途中で止まる。
「無理なら、言わなくていい」
「いえ……言います」
結乃は、決心したみたいに顔を上げた。
「裏路地に、人が倒れてたんです」
胸の奥が、静かに軋む。
「最初は、寝てるのかと思いました。でも……」
彼女は、視線を落とした。
「血、でした。地面に……」
店内のBGMが、やけに軽く聞こえる。
不釣り合いなほど、穏やかで。
「その時、足音がして……誰か、いました」
私は黙って頷いた。
続きを、急かさない。
「私、逃げました。でも……」
結乃の声が、震える。
「……見られた気がします」
——気がする、じゃない。
「顔は」
短く聞く。
結乃は、ゆっくり首を振った。
「はっきりは。でも……」
一瞬、間があった。
「目、だけ」
その一言で、空気が変わった。
「こっちを見てました」
私は、カップを静かに置いた。
視線は、強い記憶になる。
人の顔より、残ることもある。
「警察には?」
「……行ってません」
予想通りだった。
「先輩に、言おうと思いました」
結乃は、そう言って小さく笑った。
「理由は、わかりません。ただ……」
その先を、私は待った。
「澪先輩なら、逃げない気がして」
胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
私は、逃げたことがある。
だからこそ——
「大丈夫」
はっきり言った。
いや、はっきり言えた。
「今度は、逃げない」
雨は、まだ降り続いている。
でも、戻れない夜は、もう始まっていた。