壁の向こうの正義
第2話 / 全8話 · 3,005字 · 約7分
了解、第2話「壁の向こうの正義」をテキストで出します。
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# 壁の向こうの正義
隣の部屋から声が聞こえるようになったのは、四月の半ばだった。
僕が引っ越してきたのはその二週間前で、大学進学に合わせて借りた築二十五年のワンルームマンションだった。壁が薄いのは承知していた。家賃四万八千円の物件に防音性能を求める方が間違っている。
最初は生活音だった。テレビの音、食器の音、ドアを閉める音。典型的な集合住宅の騒音で、特に気にしていなかった。
変わったのは、子供の泣き声が聞こえ始めてからだ。
声の主は、おそらく五歳前後の男の子だった。泣き声はいつも夜の九時から十一時の間に聞こえた。最初は「寝ぐずりかな」と思った。小さい子供がいれば泣き声くらいするだろう。
だが日を追うごとに、泣き声の質が変わっていった。
「やめて」
壁越しに、はっきりとそう聞こえた夜があった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
連続する謝罪。何かが倒れる音。そして甲高い泣き声。
僕は壁に耳を当てた。大人の声は低くくぐもっていて、言葉の内容までは聞き取れなかった。ただ、叱責の調子であることは明らかだった。しつけの範囲なのか、それとも──。
翌日の朝、エレベーターホールで隣の住人と顔を合わせた。三十代半ばくらいの女性と、その手を握った小さな男の子。男の子は長袖を着ていた。四月下旬の、もう半袖でもいい気温の日だった。
目が合った瞬間、女性は微笑んだ。穏やかで、感じのいい笑顔だった。
「お隣に越してこられた方ですよね。うるさくしてたらすみません」
「いえ、全然」
男の子は僕を見上げたが、すぐに目を逸らした。母親の脚の後ろに隠れるようにして。
五月に入ると、僕はもう確信に近いものを持っていた。
泣き声は週に三、四回。曜日はばらばらだったが、金曜と土曜に多かった。何かが壁にぶつかる鈍い音がすることもあった。一度、男の子が「痛い」と叫ぶのをはっきり聞いた。
大学の講義で児童福祉の概論を受けていた僕は、虐待の兆候について学んでいた。季節外れの長袖、大人を怖がる態度、繰り返される泣き声と物音。教科書に載っている項目の多くが当てはまっていた。
友人の中山に相談すると、彼は即座に言った。
「通報しろよ。迷ってる時間がもったいない」
「でも、確証がない。ただの厳しいしつけかもしれないし」
「通報は義務だろ。児童虐待防止法。疑いがあれば通報していいんだよ。匿名でできるし、間違いだったとしても罰則はない」
中山の言うことは正しかった。法律的にも、倫理的にも。
その夜、児童相談所の全国共通ダイヤルに電話した。189──「いちはやく」。匿名で状況を伝えた。夜間の泣き声、長袖、怯えた様子。電話口の職員は丁寧に聞き取り、「確認します」と言った。
一回目の通報から三日後、隣の部屋に見知らぬ大人が訪ねてきた気配があった。壁越しに聞こえる声は穏やかだったが、内容は聞き取れなかった。
その夜、泣き声はしなかった。
だが翌週、また泣き声が始まった。前より激しかった。何かが割れる音がした。僕は二回目の通報をした。
二回目のあと、一週間ほど静かになった。そしてまた始まった。三回目の通報をしたのは六月の頭だった。
六月の中旬、隣の部屋が静かになった。完全に。生活音すら聞こえなくなった。
管理会社に聞くと、隣の住人は月末で退去すると言っているらしい。
僕は安堵した。通報が効いたのだ。行政が介入し、何らかの対応が取られ、あの子は救われたのだ──と思った。
七月の初め、大学の図書館で地方紙のデータベースを使って調べ物をしていたとき、ある記事が目に入った。
日付は六月二十八日。僕が住んでいるのと同じ市内の記事だった。
「母子家庭の母親(36)が傷害容疑で逮捕。五歳の長男に対し、日常的に暴力を振るっていた疑い。児童相談所には複数回の通報があったが、訪問時には母親が丁寧に対応し、虐待の確証が得られなかった。六月中旬、母親は突然転居を決意。引っ越し先のアパートで、長男が意識不明の状態で発見された」
記事を三回読み直した。
住所は書かれていなかった。だが時期、家族構成、児童相談所への複数回の通報──すべてが一致していた。
読み進めた。
「関係者によると、母親は『通報されていることに気づいていた』と供述。『隣の住人に監視されていると感じ、このままでは子供を取り上げられると思った。引っ越せば大丈夫だと思った』と話している。転居先には知人もおらず、行政の支援が届かない状態で事態が悪化したとみられる」
僕は席を立てなかった。
通報されていることに気づいていた。
隣の住人に監視されていると感じ。
引っ越せば大丈夫だと思った。
僕の通報が、あの母親を追い詰めたのだ。行政の目が届く場所から逃げ出させたのだ。結果としてあの子は、僕の「正義」によって、もっと密室的な暴力に閉じ込められた。
記事の続きを探した。見つかったのは一週間後の続報だった。
「長男は搬送先の病院で意識を回復したが、右目の視力に重度の障害が残る見込み」
僕は正しいことをした。
法律に従い、匿名で通報し、専門機関に任せた。手順は完璧だった。誰に聞いても「あなたは間違っていない」と言うだろう。中山も、講義の教授も、児童相談所の職員も。
でも僕は知っている。
二回目の通報のあと、泣き声が前より激しくなったこと。通報の結果、母親が追い詰められ、暴力がエスカレートした可能性。そして三回目の通報が、彼女に「逃げなければ」と決意させたこと。
僕の正義感が、行政の網からあの子を引き剥がした。
あの子の右目を奪ったのは母親の拳だ。
でもその拳を加速させたのは、壁一枚隔てた場所から繰り返された、僕の善意だった。
九月になった今も、隣の部屋は空室のままだ。
壁の向こうは静かだ。どこまでも静かだ。
僕はときどき、壁に手を当てる。もうそこには何も聞こえない。男の子の泣き声も、母親の声も、何かが倒れる音も。
そして僕は、次にどこかで泣き声を聞いたとき、通報できるのだろうかと考える。
正しいことをする勇気はある。
正しいことが正しい結果を生む保証は、どこにもない。
それでも通報するべきなのだと、頭ではわかっている。
でも僕の手は、もう電話を持ち上げられない。
あの子の右目のことを考えるたび、僕の指は凍りつく。
正義は、一度失敗すると呪いになる。次に正しいことをしようとする自分の手を縛る、見えない呪いに。
僕はあの子を救えなかった。
そして僕は、次の「あの子」も救えない人間になった。