満場一致の冤罪
第5話 / 全8話 · 4,510字 · 約10分
盗まれたのは、美術準備室に保管されていた写真部の一眼レフカメラだった。
キヤノンのEOS R6。学校備品ではなく、写真部の部費とOBの寄付で購入した、部員たちにとっての宝物だ。金額にして三十万円近い。高校の部活動において、それは途方もない額だった。
僕──八木沼朔は写真部の部長で、カメラの管理責任者だった。盗難に気づいたのは月曜の朝。金曜の部活後に準備室の棚に戻したのを最後に、週末の間に消えていた。
すぐに職員会議にかけられ、全校集会で注意喚起が行われた。だが犯人の手がかりはなかった。鍵は職員室の管理で、美術教師と写真部の顧問だけが持っていた──はずだった。
僕が「探偵」を始めたのは、犯人が見つからないことへの苛立ちからだった。
まず鍵の問題を調べた。職員室の鍵棚は施錠されておらず、放課後は教師の目が少ない時間帯がある。つまり鍵を一時的に持ち出すことは不可能ではない。
次に防犯カメラ。学校には正門と裏門にカメラがあるが、校舎内にはない。週末にカメラを持ち出したなら、正門か裏門を通るはずだ。映像を確認させてもらった。
土曜の午前十一時。裏門のカメラに、一人の生徒が映っていた。
制服ではなく私服だったが、顔ははっきり映っていた。
二年C組、久保田凌。
サッカー部の控え選手で、成績は中の下。特に目立たない生徒だったが、一つだけ知っていることがあった。久保田は先月、財布を落として昼食代を写真部の部室まで借りに来たことがある。そのとき準備室の鍵の場所を見ていた可能性があった。
僕は状況証拠を整理した。
一、久保田は土曜に学校に来ていた。裏門のカメラに映像がある。
二、久保田は準備室の鍵の保管場所を知り得た。
三、久保田の家庭は経済的に厳しいことで知られていた。母子家庭で、弟が二人いると聞いている。
四、久保田には部活動のない土曜日にわざわざ学校に来る理由がない。サッカー部の練習は日曜だった。
状況証拠としては十分だと僕は判断した。
写真部の部員を集めて、調査結果を共有した。副部長の仙道は「八木沼の推理は筋が通ってる」と言い、他の部員も頷いた。僕は久保田を問い詰めることを提案した。
放課後、僕たちは久保田を空き教室に呼び出した。写真部員五人と、久保田一人。今思えば、それ自体が異常な構図だった。
「久保田、土曜日に学校に来てただろう」
久保田は一瞬目を見開いた。
「……は?」
「裏門のカメラに映ってた。休みの日に何しに来たんだ?」
「それは──」
久保田は言い淀んだ。その躊躇が、僕には「動揺」に見えた。
「写真部のカメラが盗まれた。土曜の間に。お前はその日学校にいた。鍵の場所も知ってるよな」
「知らねえよ。何の話だよ」
「先月、部室に金借りに来ただろ。あのとき準備室の鍵が見えてた」
久保田の顔が強張った。怒りなのか恐怖なのか、判別がつかなかった。
「やってねえよ。俺じゃねえ」
「じゃあなんで土曜に学校にいたんだ。理由を言えよ」
「……言えない」
「言えない? なんで?」
「関係ないから! お前らには関係ない!」
久保田は叫んだ。だがその「言えない」が、僕たちの確信を強めた。やましいことがなければ理由を言えるはずだ──と。
翌日、僕は調査結果を生活指導の教師に報告した。防犯カメラの映像と、久保田の不審な態度について。
教師は久保田を呼び出し、事情聴取を行った。久保田は泣きながら「やっていない」と繰り返したが、土曜に学校に来た理由については最後まで答えなかった。
一週間後、久保田の母親が学校に呼ばれた。
その席で、久保田はようやく土曜日の理由を話した──と、僕は後から聞いた。
だがその内容は僕には伝えられなかった。教師は「調査中」と言うだけだった。
久保田は翌日から学校に来なくなった。
一週間、二週間と休みが続いた。サッカー部の連中は「あいつ盗んだんだろ」と陰で言っていた。僕の推理が正しかったのだと、誰もが信じていた。
カメラが見つかったのは、それから一ヶ月後だった。
場所は美術準備室の天井裏。空調のダクトの上に、埃をかぶった状態で置かれていた。
美術教師が天井の雨漏りを修理業者に見てもらった際に発見された。教師は困惑した顔で言った。
「前にもこういうことがあったんだ。美術部の生徒が悪ふざけで備品を天井裏に隠して、騒ぎになったことが」
犯人は、美術部の三年生二人組だった。写真部との合同展示で揉めた腹いせに、嫌がらせでカメラを隠したのだ。売るつもりも使うつもりもなく、ただ困らせたかっただけ。彼らは土曜に学校には来ていない。金曜の放課後、写真部員が全員帰った後に準備室に忍び込んでいた。職員室の鍵を一時的に持ち出すという、僕が「可能性」として想定していた手口を、まさに彼らが実行していた。
裏門のカメラに映った久保田凌は、最初から無関係だった。
久保田凌が土曜日に学校に来ていた理由を、僕が知ったのはすべてが終わったあとだった。
教えてくれたのは担任だった。もう隠す意味がないと判断したのか、あるいは僕に知らせるべきだと思ったのか。
「久保田は、土曜日に学校の自習室を使っていたんだ」
「自習室?」
「家で勉強する環境がなくてね。弟たちが小さくて騒がしいし、自分の部屋もない。だから土曜日だけ、こっそり学校に来て勉強していた。裏門から入ったのは、誰にも見られたくなかったからだ。家が貧しいから勉強する場所もないなんて、知られたくなかったんだよ」
久保田が「言えない」と叫んだ理由がわかった。
それは犯行を隠すための沈黙ではなかった。十七歳の少年の、小さくて切実なプライドだった。
「久保田は、もう学校に戻れないと言っている」
「……」
「窃盗犯として見られたことより、自分の家の事情が教師や親に知られたことの方がショックだったようだ。あの子にとっては、それが一番知られたくないことだったんだよ」
僕の推理は論理的には間違っていなかった。
状況証拠を集め、動機を推定し、矛盾のないストーリーを構築した。探偵小説なら名探偵と呼ばれる仕事だったかもしれない。
だが現実には、僕は無実の人間を衆人環視の中で犯人に仕立て上げ、彼の最も触れられたくない秘密を暴き、学校に居場所を無くさせた。
カメラは戻ってきた。
久保田は戻ってこなかった。
僕は久保田に謝罪の手紙を書いた。何度も書き直した。でも何を書いても薄っぺらかった。「証拠が揃っていたから」「あの状況では仕方なかった」──どれも、僕が自分を許すための言い訳にしかならなかった。
手紙は出せなかった。出す資格がないと思った。
写真部の部員たちも気まずそうにしていた。あの日、空き教室にいた全員が加害者だった。でも調査を主導し、教師に報告し、久保田を追い詰めたのは僕だ。僕が責任を取らなければならない。
だが責任の取り方がわからなかった。
三学期の始業式の日、久保田の転校が発表された。
教室は一瞬ざわついて、すぐに静まった。誰も久保田の名前を口にしなかった。まるで最初からいなかったかのように。
その日の放課後、サッカー部の顧問が僕のところに来た。
「八木沼、ちょっといいか」
体育教師の武田先生は、日に焼けた厳つい顔に似合わない、困ったような表情を浮かべていた。
「久保田のことなんだが。あいつ、冬休みの間に模試を受けていたんだ。自分で申し込んで、受験料もバイトで稼いで」
「模試を?」
「ああ。結果が届いてな。志望校の判定、Bだった。あいつ、家に勉強場所がないから土曜に学校に来てたんだろ。それでBだぞ。サッカーは控えだったが、勉強は──本気だったんだよ。指定校推薦を狙ってたんだ」
指定校推薦。それには内申点と出席日数が必要だ。
久保田は二ヶ月近く学校を休んでいる。
「もう推薦の基準を満たせない。転校先でやり直すにしても、三年の途中からじゃ──」
武田先生はそこで言葉を切った。僕の顔を見て、これ以上は酷だと判断したのかもしれない。
「お前を責めてるわけじゃない。ただ、知っておくべきだと思った」
知っておくべき。
僕が奪ったものの大きさを、知っておくべき。
武田先生はそう言いたかったのだろう。
写真部の部室に戻ると、取り戻されたEOS R6が棚に置いてあった。
僕はそれを手に取った。ずっしりとした重み。レンズに傷はなかった。天井裏に隠されていた一ヶ月の間、カメラは無傷だった。
カメラは無傷で戻ってきた。
久保田凌の人生には、修復できない傷がついた。
僕はファインダーを覗いた。空の教室が映った。机と椅子が整然と並んでいる。その中の一つが、もう空席になっている。
レンズ越しに世界を見る仕事を、僕はこの先も続けるのだろう。写真を撮り、構図を考え、光と影を切り取る。
でもあの日、僕が切り取ったのは、一人の少年の居場所だった。
レンズはいつも、見たいものだけを鮮明にする。フレームの外にあるものは映らない。僕の推理も同じだった。見たいストーリーだけを鮮明にして、フレームの外にあった真実を完全に見落とした。
久保田が「言えない」と叫んだとき、僕は彼の目を見ていた。あの目の中にあったものを、僕は「やましさ」と読んだ。
今ならわかる。あれは恥だった。貧しさへの、どうしようもない恥。自分の力ではどうにもならない環境への、煮えたぎるような屈辱。そしてそれを、五人の同級生に囲まれて問い詰められることの恐怖。
僕にはそれが見えなかった。
推理に酔っていた僕の目には、「犯人」しか映っていなかった。
カメラを棚に戻した。
ファインダーから目を離しても、久保田の空席はそこにある。
明日も明後日も、卒業するまでずっと。
いや──久保田は転校したから、空席には別の誰かが座るのだろう。そうやって、久保田がいた痕跡は教室から消えていく。
でも僕の記憶からは消えない。
消えてくれない。
僕は正解したつもりだった。
でも僕が当てたのは犯人じゃなく、ただの──傷つきやすい、一人の同級生だった。