表示設定

文字サイズ
行間
フォント
背景
文字方向

最後の投稿

第7話 / 全8話 · 6,525字 · 約14分
 最初は遊びだった。

 連続放火事件がニュースになり始めたのは九月の頭だった。僕の住む街で、二週間に三件。深夜に空き家や資材置き場が燃えるという地味な事件で、全国ニュースにはならない規模だった。怪我人もいなかった。

 僕──戸田昴は推理小説が好きで、Xに推理の考察を投稿するのが趣味だった。フォロワーは三百人程度。リアルタイムで起きている事件を推理するのは初めてだったが、それだけに興奮していた。

 最初の投稿はこうだった。

「地元の連続放火事件、犯行時間帯が全部深夜1〜3時、間隔が約5日。対象は無人の建物のみ。これは快楽犯。火を見たいだけ。エスカレートする前に捕まってほしい」

 いいねが五十もついた。普段の五倍だ。




 四件目の放火が起きたのは、最初の投稿から三日後だった。

 今度は住宅街に近い廃工場で、消防車が三台出動した。依然として怪我人はいなかったが、規模が大きくなっていた。

 僕は二本目の投稿を書いた。

「四件目。予想通り間隔が縮まっている。犯人像:この地域の地理に詳しい男性、20代前半、単独犯。放火対象の選び方に合理性がある(人的被害を避けている)。これは良心と衝動の葛藤。でも衝動が勝ち始めている」

 この投稿がバズった。リポストが三百を超え、フォロワーが一気に千人増えた。地元のローカルメディアがスクリーンショットを引用し、「SNS上の名推理」として紹介された。

 高揚感があった。自分の推理が注目されている。認められている。




 親友の梶谷航が僕の投稿に反応したのは、五件目の放火の後だった。

「お前すげえな。探偵みたいじゃん」

 梶谷とは中学からの付き合いだ。同じ高校に通い、よく一緒に帰っていた。趣味はあまり合わないが、一緒にいて楽な相手だった。

「ただの推測だよ。当たってるかもわかんないし」

「いや、読んだけどめちゃくちゃ論理的だった。『地理に詳しい』『良心と衝動の葛藤』とか、プロファイリングっぽくてさ」

 梶谷は僕の投稿を細かく読んでくれていた。それが嬉しかった。

 だが同時に、梶谷の目に奇妙な光があったことに、僕は気づかなかった。あれが何だったのか、後になって考えれば──恐怖だったのだと思う。




 六件目のあと、僕はさらに踏み込んだ投稿をした。

「犯人は放火対象との間に個人的な接点がある可能性。一件目の空き家と三件目の資材置き場は、同じ不動産会社の管理物件。六件目の廃工場は、その不動産会社のかつての取引先。犯人の動機は純粋な放火衝動ではなく、特定の対象への復讐心かもしれない」

 これは僕のオリジナルの推理だった。ネット上の情報を地道に調べ、不動産登記や会社の沿革を辿って見つけた接点だ。

 投稿後、フォロワーが五千人を超えた。テレビ局から取材依頼が来た。匿名を条件に、電話インタビューに応じた。

 その日の夜、梶谷からLINEが来た。

「あの投稿、消した方がよくないか?」

「なんで?」

「不動産会社の話。あれ、特定の人間を追い詰めることにならないか」

「でも事実だよ。公開情報を繋げただけだし」

「……そうか。まあ、お前がそう言うなら」

 梶谷はそれ以上何も言わなかった。僕は違和感を覚えたが、深く考えなかった。梶谷は昔から心配性だ。そう思って片付けた。




 七件目の放火が起きた夜、僕は新しい推理を投稿した。

「犯人像をさらに絞り込む。不動産会社Mとの接点がある人物で、地理に詳しく、20代前半の男性。この条件に合うのは、元従業員か、テナントか、あるいはその家族。M社は三年前に経営トラブルを起こし、複数のテナントが退去を余儀なくされている。犯人はその被害者の可能性がある」

 投稿は一晩で一万リポストを超えた。

 コメント欄に、誰かが書き込んだ。

「M社のテナントトラブルで父親が事業を失った家族がいる。息子は確か地元のK高校に通ってたはず」

 K高校。僕たちの学校だ。

 その書き込みに返信がつき、さらに情報が集まっていった。僕は止めるべきだった。でも止めなかった。推理が現実と接続していく感覚に、僕は酔っていた。

 翌朝、学校に着くと異様な空気が漂っていた。

 何人かのクラスメイトが、スマホを見ながらひそひそ話していた。僕に気づくと、妙な目で見てきた。

「戸田、お前のXの投稿見たよ」

「……ああ」

「あのコメント欄、やばくないか。犯人の名前、ほぼ特定されてるぞ」

 僕はスマホを開いた。コメント欄は伸び続けていた。不動産会社Mの元テナントリスト、K高校の卒業生名簿の断片、三年前の新聞記事のスクリーンショット。

 そこに、一つの名前が挙がっていた。

 梶谷航。




 梶谷の父親は、三年前にM不動産のビルでクリーニング店を経営していた。経営トラブルで突然退去を強いられ、違約金と移転費用で借金を背負い、店を畳んだ。父親はそのショックで体調を崩し、今も働けない状態だという。

 それは僕が知らなかった情報だった。

 いや──本当に知らなかったのか。

 梶谷が高校二年の途中からバイトを始めたこと。昼食を食べなくなったこと。修学旅行を「行かない」と言ったこと。服が同じものの繰り返しになっていったこと。僕はそのどれもを見ていた。見ていて、聞かなかった。梶谷が話さないことには踏み込まない。それが僕たちの距離感だった。

 そして僕は、その梶谷の家庭の事情と、自分が追いかけている放火事件を、一度も結びつけなかった。

 目の前にいる親友と、画面の向こうの「犯人像」を、同一の存在として認識しなかった。

 あるいは──無意識に、避けていたのかもしれない。




 梶谷は、その日学校に来なかった。

 翌日も。その翌日も。

 僕はLINEを送った。

「大丈夫か」

 既読はつかなかった。

 三日後、梶谷の自宅に行った。インターホンを押すと、梶谷の母親が出た。目が赤く腫れていた。

「航は──今、話せる状態じゃないの」

「何があったんですか」

「あなた、航の友達の戸田くんよね」

「はい」

 母親は僕の顔をじっと見た。そこにあったのは、敵意でも悲しみでもなく、疲弊だった。何もかもに疲れ果てた人間の目だった。

「ネットに航の名前が出てるの、知ってるでしょう。放火犯だって。警察にも事情を聞かれた。航はやってないわ。あの子にそんなことできるわけがない。でも──」

 母親の声が途切れた。

「でも、もう関係ないの。やったかどうかなんて。名前が出た時点で終わりなの。航の人生は終わったの」

 僕は何も言えなかった。

「犯人じゃなくても、疑われただけで人は壊れるのよ。あなたにはわからないでしょうけど」

 わかる、と言えなかった。わかるはずがなかった。僕はずっと、画面の向こう側にいたのだから。




 僕は投稿を全部消した。

 だが遅すぎた。スクリーンショットは拡散し、まとめサイトに転載され、梶谷の名前は「連続放火犯の容疑者」として固定されていた。

 一週間後、警察が真犯人を逮捕した。

 三十一歳の無職の男だった。M不動産とは直接の関係はなく、単純な放火癖の持ち主だった。対象物件がM社の関連物件と重なったのは、その地域にM社の管理物件が集中していたからに過ぎなかった。

 僕の推理は──半分は当たっていた。犯人像の年齢や性別、単独犯であること、地理に詳しいこと。それらは正しかった。

 だが肝心の「動機」が間違っていた。M社への復讐という推理は完全な誤りだった。そしてその誤った推理が、コメント欄の集合知と結合して、無関係の人間を犯人に仕立て上げた。

 真犯人逮捕のニュースは、それなりに報道された。

 だが「梶谷航は犯人ではなかった」という情報は、「梶谷航が疑われた」という情報ほどには広まらなかった。否定は肯定の十分の一の速度でしか伝わらない。ネットとはそういう場所だった。




 十月の終わり、梶谷が学校に来た。

 二週間ぶりだった。痩せていた。頬がこけて、目の下に濃い隈があった。

 僕は声をかけようとした。だが梶谷は僕を見て、一瞬だけ足を止め、そのまま通り過ぎた。

 その一瞬の目を、僕は忘れられない。

 怒りではなかった。憎しみでもなかった。

 諦めだった。

 僕という人間に対する、完全な諦め。もう何を言っても無駄だという、透明な絶望。

 その日から、梶谷は僕と口をきかなくなった。

 僕は何度もLINEを送った。「話がしたい」「謝りたい」「全部俺のせいだ」。どれも既読にならなかった。

 直接話しかけようとしたこともある。だが梶谷は僕が近づくと席を立った。追いかければ逃げた。まるで僕が害のある何かであるように。

 それは正しい反応だった。僕は害のある何かだったのだから。




 十一月、梶谷の母親がSNSに投稿した。

「息子は放火犯ではありません。真犯人は逮捕されています。にもかかわらず、未だに息子の名前と顔写真がネット上に残っています。削除要請をしていますが、まとめサイトやスクリーンショットが多すぎて追いつきません。息子の将来を返してください」

 投稿は拡散されたが、同情のコメントの中に、心ない言葉も混じっていた。「疑われるには理由があったんだろ」「火のないところに煙は立たない」。

 火のないところに煙は立たない。

 煙を立てたのは僕だ。

 僕の投稿が火種になり、コメント欄が煙を広げ、梶谷は煙に巻かれた。本物の火は別の場所で燃えていたのに。




 十二月になって、僕はようやく梶谷と二人きりで話す機会を得た。

 放課後の屋上。僕が手紙で呼び出した。梶谷が来てくれたこと自体が意外だった。

「梶谷、本当に──」

「謝るな」

 梶谷の声は平坦だった。感情のない、乾いた声。

「謝られても何も戻らない。お前が謝ることで楽になるのはお前だけだ。俺は楽にならない」

「……」

「お前に一つだけ聞きたい。あの投稿を書いてるとき、俺のこと、一回でも頭をよぎったか?」

 僕は正直に答えなければならなかった。

「……よぎらなかった」

「だろうな」

 梶谷は空を見上げた。冬の空は高くて、雲がなかった。

「お前にとって俺は『画面の向こう側』にはいなかったんだよな。リアルの俺と、お前が推理してた犯人像は、別々の存在だった。目の前にいる親友と、フォロワーに向けて描いた犯人のプロフィールが、同じ地平にいるとは思わなかった」

「梶谷──」

「お前は頭がいい。推理も鮮やかだった。でもお前の推理には、人間がいなかった。犯人像はいたけど、その犯人像の裏側に生きてる本物の人間がいるって想像が、一ミリもなかった」

 梶谷は僕を見た。

「お前の最後の投稿──あの不動産会社の推理をした夜、俺はLINEで『消した方がよくないか』って言ったよな」

「……ああ」

「あれは忠告じゃなかった。懇願だったんだ。お前が気づいてくれることを祈ってた。俺の父さんがM社に関わってたこと、お前が知らないはずないだろって。だから遠回しに言ったんだ。お前なら気づいてくれるって」

 梶谷は「お前なら気づいてくれる」と言った。

 第1話の咲良と同じだ。「篠崎くんなら大丈夫」と。

 信じてくれた人間を、僕たちは推理で裏切る。鋭すぎる刃で、信頼ごと切り裂く。

「でもお前は気づかなかった。推理に夢中で、目の前の人間が見えなかった。あの夜のLINE、お前は『でも事実だよ』って返しただろ。あの一言で、俺は全部諦めた」

 僕は何も言えなかった。

「お前を恨んでるかって聞かれたら、恨んでるよ。でもそれ以上に──悲しいんだ。俺たち友達だったのに。お前は俺を見てなかった。ずっと画面の方を見てた」




 梶谷は三学期から学校に来なくなった。

 正式な退学届が出たと、担任から聞いた。進路は未定。梶谷の家庭の事情を考えれば、就職するのだろう。借金を抱えた家で、高校中退の十七歳ができることは限られている。

 僕のXのアカウントは削除した。フォロワーも投稿も、すべて消した。

 でもインターネットには消えないものがある。スクリーンショット。まとめ記事。魚拓。僕が書いた推理は、僕の手を離れて独立した事実として漂い続けている。「M社関連の復讐犯」という僕の仮説は、真犯人が捕まった後も、一部のサイトで梶谷の名前と紐づけられたまま残っている。

 僕が投稿を消しても、世界は僕の投稿を覚えている。

 そして梶谷航という名前は、僕が描いた「犯人像」の影として、ネットの海底に沈んでいる。




 年が明けて、僕は推理小説を読めなくなった。

 本棚に並んだ文庫本を手に取ると、名探偵が鮮やかに犯人を指摘する場面が浮かぶ。読者は拍手する。犯人は観念する。事件は解決する。

 でも現実はそうならなかった。

 僕の推理は鮮やかだった。論理は正しかった。動機の推定だけが間違っていた。たった一つの間違いが、親友の人生を焼いた。

 放火犯は建物を燃やした。

 僕は人間を燃やした。

 どちらがより多くのものを灰にしたか、考えるまでもない。

 僕の推理はフォロワーを喜ばせた。いいねとリポストが数字として積み上がり、僕の承認欲求を満たした。その数字の一つ一つが、梶谷を追い詰める火の粉だったことに、僕は気づかなかった。

 いや──気づきたくなかったのだ。

 梶谷がLINEで「消した方がよくないか」と言ったとき、僕の中で何かが引っかかっていた。でもそれを深掘りすれば、投稿を消さなければならなくなる。フォロワーの期待を裏切ることになる。積み上げた承認を手放すことになる。

 だから僕は「でも事実だよ」と返した。事実かどうかではなく、止まりたくなかったのだ。

 梶谷の懇願を、僕は推理の邪魔として処理した。

 第1話の篠崎蓮がそうしたように。第5話の八木沼朔がそうしたように。

 僕たちは推理に酔うと、人間を見失う。




 三月、卒業式の日。

 梶谷の席は空だった。退学した生徒の席など、最初から用意されていない。

 式が終わり、教室に戻ると、僕の机の中に封筒が入っていた。差出人の名前はなかったが、筆跡でわかった。梶谷だ。

 封筒の中には、写真が一枚だけ入っていた。

 中学の修学旅行のとき、二人で撮った写真だった。京都の清水寺の前で、肩を組んで笑っている。梶谷も僕も、何の曇りもない顔で笑っていた。

 写真の裏に、一行だけ書いてあった。

「この頃に戻りたかった」

 過去形だった。

 「戻りたい」ではなく「戻りたかった」。

 もう戻れないと、梶谷は知っている。僕も知っている。

 僕はその写真をしばらく見つめて、机の引き出しにしまった。

 教室を出るとき、振り返らなかった。

 写真の中の僕たちは、まだ笑っている。これからもずっと笑っている。

 でもあの笑顔の続きはもう、どこにもない。
« 前の話 目次 次の話 »

この話への感想

まだ感想はありません。