どの系譜にも属さない版の話をする。
その版を、私はいつ、どこで保存したのか思い出せない。調査用のフォルダに、最初からあった。ファイルの作成日時は、調査を始めた日の三日前になっている。参照元として記録してあったURLは、現在開けない。ページが消えたのではない。ドメインごと、最初から存在しないことになっている。
入手の経緯を思い出せない資料など、本来は使いものにならない。それでも本稿でこの版に触れるのは、他の十一件と決定的に違う点があるからである。
その前に、作者の話をする。
資料五 投稿サイト「S」作者ページの保存記録(二〇二〇年三月)
ユーザー名:mo_ri_ya
登録日:2019年6月■日
投稿作品:1件(「無題」)
最終ログイン:2020年3月■日
自己紹介:
むすめに よんでもらうために かいています。
(一行、伏せる)
おかあさんは、ここに います。
「mo_ri_ya」――守屋■■氏。■■県N市在住。二〇一六年、当時十九歳の長女が自宅から失踪している。書き置きがあったため家出として処理された。目撃情報は、最後まで一件も出なかった。
守屋氏本人も、二〇二〇年三月から行方が分かっていない。氏の消息が途絶えた月に「無題」はアカウントごと削除され、削除の直前に何者かが全文を保存し、転載の連鎖が始まった。
自己紹介の伏せた一行には、娘の名前が書かれている。ここでは伏せる。理由をうまく説明できない。強いて言えば、この原稿の中に、その名前を書きたくない。
「無題」は、名前を入れると、その名前の子供が家に帰ってくる話になる。守屋氏が誰の名前を入れて、何度読み返したのかは、想像するしかない。想像までにしておくべきだとも思う。
手元の版について、分かっていることを並べる。
一、他の十一件より本文が長い。長い分は末尾に足されているのではなく、全体に散らばっている。
二、増えている記述の多くは、家の中の描写である。台所の位置。ベランダから見える給水塔。仕事机の上の、飲みかけのまま冷めた湯呑み。
これは私の部屋だ ありふれた間取りとの偶然の一致、という可能性は否定しない。
三、私は一度も名前を入力していない。これは断言できる。それでも、増えた段落の中で、家にいる誰かは【名前】ちゃんではない、べつの呼ばれかたをしている。どう呼ばれているかは、書かない。
四、この版の文字数は、いまも増えている。
転載した者から消えている。それを分かった上で、私はこの原稿を公開する。理由は書かない。
調査はここで終える。「無題」の原本を探さないこと。転載版を見つけても開かないこと。開いてしまったら、
【名前】ちゃんへ
みつけましたよ。
ドアの まえに います。