目次に戻る Ayano

恋だと気づいた日

その気持ちに名前があることを、私はずっと知らないふりをしていた。
れんと一緒にいると、心が静かになる。
隣を歩くと、呼吸が楽になる。
それはきっと、安心だから。
そう思い込もうとしていた。
ある日、体育の時間に、れんが怪我をした。
たいしたことはなかった。
転んで、膝をすりむいただけ。
それなのに、胸が締めつけられた。
血が滲んだ膝を見た瞬間、頭が真っ白になった。
代わってあげられるなら、代わりたかった。
そんなこと、ありえないのに。
――あれ?
そのとき、初めて思った。
これって、何だろう。
保健室の前で、私は黙って立っていた。
中から聞こえる、れんの声。
それだけで、心臓がうるさくなる。
「心配しすぎ」
保健の先生にそう言われて、気づいた。
私は、ただの幼馴染じゃない目で、れんを見ている。
その夜、布団の中で、何度も考えた。
考えないようにしても、浮かんでくる。
れんが笑う顔。
名前を呼ぶ声。
「一緒に帰ろう」と言った、あの日の背中。
――好き、なのかもしれない。
その言葉を心の中で口にした瞬間、
胸が、じんわりと痛くなった。
嬉しい、よりも先に、怖かった。
だって私は、壊れた家の子で、
透明な教室の、誰にも必要とされない存在で。
そんな私が、誰かを好きになっていいはずがなかった。
次の日、れんの隣を歩くだけで、緊張した。
触れたら、全部ばれてしまいそうで。
れんが、クラスの女の子と話しているのを見て、
胸がざわついた。
――ああ、これだ。
嫌な気持ちなのに、目が離せない。
奪いたいわけじゃない。
ただ、遠くに行ってほしくない。
それは、独占欲なんかじゃなくて、
「失う怖さ」だった。
放課後、夕焼けの校門で、れんが言った。
「穂花ってさ、優しいよね」
理由もなく、そう言われた。
その一言で、心が揺れた。
初めて、誰かに肯定された気がして。
でも同時に、分かってしまった。
――この気持ちは、言えない。
言ってしまったら、
今の距離さえ、壊れてしまう。
私は、れんの隣で笑いながら、
心の中でだけ、恋をした。
――これは、私が初めて、
「好き」という感情に気づいてしまった日の思い出。
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