30年という時間
それを知ったのは、病院の白い部屋だった。
消毒液の匂いがして、壁はやけにきれいで。
まるで、感情が入り込む隙間がない場所。
「琴瀬さんは……」
医師の声は、遠かった。
大切な話をしているはずなのに、
私は、窓の外の空ばかり見ていた。
「平均すると、三十年ほどです」
三十年。
数字だけが、ぽつんと落ちた。
長いとも、短いとも思わなかった。
ただ、思ったより具体的だな、と思った。
「治らない、んですか」
自分の声が、やけに落ち着いていて、少し怖かった。
医師は、首を横に振った。
それ以上、何も言わなかった。
――ああ、そうなんだ。
絶望よりも先に、納得が来た。
だって、私の人生は、最初から長くなかった。
家に帰ると、いつも通りだった。
母はテレビを見て、父は無言で新聞をめくる。
「病院どうだった」
そう聞かれることもない。
私は、何も言わなかった。
言ったところで、何かが変わる気もしなかった。
その夜、布団の中で考えた。
三十年で、何ができるんだろう。
三十年で、何を残せるんだろう。
答えは、何も出なかった。
次の日も、学校は続く。
いじめも、れんとの帰り道も。
れんは、私が余命を知ったことを知らない。
知らないまま、いつも通り笑う。
それが、少しだけ、眩しかった。
――言わない。
そう、決めた。
この事実は、私だけのものにする。
れんに知られたら、
優しさが、同情に変わってしまう気がしたから。
それに、思ってしまった。
――どうせ、いなくなる。
だったら、深く関わらない方がいい。
好きだなんて、言わない方がいい。
私は、心に線を引いた。
越えてはいけない線。
でも、れんと話すたびに、
その線は、少しずつ滲んでいく。
三十年という時間は、
私にとって「期限」だった。
未来を描くためのものじゃなく、
終わりを数えるためのもの。
それでも、時間は進む。
れんと過ごす、何でもない日々が、
思い出に変わっていく。
私は、まだ知らなかった。
この三十年が、
思っていたより、ずっと大切になることを。
――これは、私が「終わり」を知って、
それでも生きることをやめなかった日の思い出。