目次に戻る 天使総裁特別補佐

第二話 滴る秒針

「おい、あの時計……裏に何かあるぞ」
工藤と呼ばれた大柄な男が、震える指で古時計を指差した。
高さ二メートルはあろうかという重厚な振り子時計。その背後の壁から、ねっとりとした赤黒い液体が、音もなく床へと這い出している。
「待て、不用意に近づくな!」
最初に声を上げた方の佐伯誠が制したが、もう一人の佐伯誠は、まるで何かに吸い寄せられるように時計へと歩み寄った。
「……これ、血じゃない」
後から名乗った方の佐伯が、鼻を突く異臭に顔を歪める。
「ガソリン……? いや、もっと腐ったような……」
彼が時計の側面に手をかけた瞬間、カチリ、と場違いに軽い金属音が響いた。
重い時計の本体が、隠し扉のようにゆっくりと手前にせり出してくる。
背後の壁に、ぽっかりと暗い空洞が現れた。
そこには、十人分の「真っ白な仮面」が、整然と壁に釘打ちにされていた。
「何だよ、これ……悪趣味な」
一ノ瀬が後ずさりする。
仮面の下には、それぞれ古びた真鍮の名札が打ち付けられていた。そこには、今この場にいる自分たちの名前が刻まれている。
だが、一番端。
十枚目の仮面の下にある名札を見た瞬間、藤崎凛が短い悲鳴を上げて口を抑えた。
そこには、二人の「佐伯誠」の名前ではなく、聞き覚えのない十一種類目の名前が刻まれていた。
『 真壁 零(まかべ れい) 』
「誰だ、それは……。俺たちは十人のはずだろ?」
佐藤が荒い息を吐きながら全員を見渡す。
だが、答えられる者はいない。
その時、背後の暖炉の火が、一瞬だけ青白く燃え上がった。
「……ねえ、見て」
最年少らしき早乙女萌が、ガタガタと歯の根を合わさないようにしながら、リビングの中央にあるテーブルを指差した。
さっきまで並べていたはずの十枚の学生証。
そのうちの一枚——どちらの物でもない「佐伯誠」のカードだけが、まるで生き物のように、ひとりでにシュルシュルと焦げ茶色に変色し始めていた。
「嘘だろ……消えていく……」
名前が消え、顔写真が消え、ただの真っ白なプラスチック片へと変わっていく。
それと同時に、二人の佐伯誠のうちの一人が、突如として喉をかきむしり、その場に崩れ落ちた。
「あ、が……は……ッ!」
苦悶の声を上げる彼の顔面から、ボロボロと皮膚が剥がれ落ちていく。
まるで、古い塗装が剥げるように。
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