第三話 一人目の空白
床に残されたのは、脱ぎ捨てられたような衣服と、つい先ほどまで「彼」が持っていた学生証だけだった。
崩れ落ち、消えていった「二人目の佐伯誠」。
リビングは依然として明るく、暖炉の火が静かに燃えている。そのあまりに平穏な光景が、目の前で起きた「人間の消失」という異常事態を、かえって残酷に際立たせていた。
「消えた……。あいつ、本当に消えちゃった……」
一ノ瀬翼が、腰を抜かしたまま床の衣服を見つめている。
生き残った方の佐伯誠は、自分の右手を凝視したまま動けないでいた。さっき、消えた男の肩を掴もうとしたその感触が、まだ掌に残っているのだろう。
「……おい、お前。大丈夫か」
佐藤が慎重に、生き残った佐伯の肩を叩く。
「……ああ。でも、わかったことがある」
佐伯が、乾いた声で言った。
「あいつが消える直前、耳元で何か呟いたんだ。『代わりが見つかってよかった』って」
その言葉に、部屋中の空気が一気に凍りついた。
代わり。
それは、彼が消えることで、この中の誰かが生き延びたということなのか。あるいは、この山荘には常に「10人」いなければならないという決まりでもあるのか。
「……ちょっと、これを見て」
藤崎凛が、リビングの壁に掛かっている「10人の大学生」の集合写真を指差した。
さっきまで、そこには今ここにいる10人が写っていたはずだった。
だが、今、写真の中を確認すると、一箇所だけ、人物の姿が消えていた。
そこには背景の壁だけが写り、まるで最初から誰もいなかったかのように、不自然な空白が生まれている。
「10人いたはずの場所が、9人分しかない……」
高城が写真を手に取り、裏側を調べた。
そこには、古い油性ペンでこう記されていた。
『 一人が消えるたび、この場所の「記憶」も一つ消える。 』
「記憶が消える……? どういう意味だ」
佐藤が問い返したその時、早乙女萌が、自分のこめかみを押さえて呻いた。
「ねえ……今、消えた人のこと。……あ、あれ? どんな顔してたっけ。名前は『佐伯誠』だったのは覚えてるけど、どんな声で、どんな服を着て……」
驚くべきことに、全員が同じ感覚に襲われていた。
さっきまで目の前で苦しんでいた「もう一人の佐伯」のディテールが、霧が晴れるように、急速に脳内から失われていく。
残されたのは、床に転がった、持ち主を失ったジャケットだけだった。