第3話:託された火、遥かなる旅路
第2話 / 全2話 · 2,360字 · 約5分
「親方……!」
手にした鉄剣の震えを抑え、アベルは村の中央へと駆け出した。
先ほど覚醒した琥珀色の光は、今はもう眠りについたように静まり返っている。だが、手のひらに残る熱い感覚だけは本物だった。
村の中央広場に辿り着いたアベルが目にしたのは、絶望的な光景だった。
そこには、これまでの魔獣とは一線を画す、一回りの巨体を誇る「上位魔獣」が立ちはだかっていた。二足歩行の大鬼(オーガ)のような姿に、黒い鉄の鎧を纏っている。
その足元には、何本もの折れた剣と、血を流して倒れる村の衛兵たち。
そして――ガザル親方が、大槌を杖代わりにし、かろうじて膝を突かずに踏み止まっていた。その呼吸は荒く、全身の傷から血が滴っている。
「グルル……しぶとい人間め」
鎧の大鬼が、黒く濁った大剣を振り上げた。親方を真っ二つにしようと、容赦なく振り下ろされる。
「親方ァァッ!!」
アベルは叫びながら、無我夢中で大鬼の死角へと飛び込んだ。
もう一度あの光を、と念じながら鉄剣を突き出すが、剣はただの鉄のままだ。しかし、アベルの気迫に気づいた大鬼が、わずかに大剣の軌道を逸らす。
火花が散り、アベルの剣は大鬼の鎧に弾かれたが、親方の命を繋ぐことには成功した。
「アベル……!? バカ者が、なぜ戻ってきた!」
「親方を置いていけるわけないだろ!」
アベルは親方の前に立ち、大鬼を睨みつけた。大鬼の赤い眼が、アベルの胸元――輝きを失ったペンダントを捉えた瞬間、その醜悪な顔が驚愕に歪んだ。
「その輝き……まさか、生き残りがいたとはな。ここで根絶やしにしてくれる!」
大鬼が咆哮し、凄まじい風圧とともに大剣を横になぎ払う。アベルは親方を庇いながら後ろへ飛んだが、爆風だけで地面を転がった。圧倒的な実力差。ペンダントの力が発動しなければ、一撃で肉塊に変えられる。
(頼む、もう一度動いてくれ……!)
アベルが胸のペンダントを握りしめた、その時だった。
「――光よ、闇を払う鎖となれ!」
凛とした鋭い声が響くと同時に、夜闇を引き裂いて数条の「光の鎖」が降り注いだ。
鎖は大鬼の巨体を縛り上げ、地面へと縫い付ける。
「グガッ!? なんだこれは……神聖魔術だと!?」
「アベル、ガザル殿! 今のうちに!」
村の入り口から現れたのは、白いフード付きのマントを纏った、一人の美しい少女だった。その手には青く輝く魔導書が握られている。この辺境の村には似合わない、洗練された「魔術師」の姿だった。
「お前は……」
「話は後です! この鎖は数秒しか持ちません、早く!」
アベルは咄嗟に親方の肩を担ぎ上げた。
「待て、アベル……俺はもう動けん。足手まといになるだけだ……」
「黙っててくれ親方! 一緒に逃げるんだ!」
「……いや、ガザルの言う通りだ、少年」
背後から、大鬼の不敵な笑い声が聞こえた。バリバリと音を立てて、光の鎖に亀裂が入っていく。大鬼の漆黒の魔力が、少女の魔術を圧倒し始めていた。
「ぐっ……! 魔力が強すぎます……!」
少女が顔を青くし、膝を突く。鎖が完全に弾け飛んだ。
ガザル親方は、担ぎ上げるアベルの手を、驚くほどの怪力で振り払った。そして、アベルの胸元にあるペンダントを強く握りしめる。
「アベル。お前が何者なのか、俺は知らん。だがな……お前が打つ鉄の音は、誰よりも優しかった」
親方は優しく笑い、アベルの背中を、その大きな手で力強く押し出した。
「お前の火を、こんなところで消させるわけにいかん。……行け! 生きて、その力の意味を知れ!」
ガザル親方は残された最後の力を振り絞り、大槌を構えて大鬼へと突撃した。
「おおおおおっ! 常闇の化け物め、ドワーフの意地を見よッ!!」
「親方ーーーっ!!」
アベルの絶叫を、少女が遮るように彼の腕を引いた。
「来てください! ガザル殿の覚悟を無駄にする気ですか!?」
視界が涙で歪む。背後で、凄まじい衝撃音と、親方の最後の雄叫びが響いた。
アベルは少女に引かれるまま、村の裏手へと走り続けた。振り返ることはできなかった。振り返れば、足が止まってしまうから。
どれほど走っただろうか。
気づけば、地獄と化した村は遥か遠く、夜空を赤く染める炎だけが、二人の行く末を照らしていた。
たどり着いたのは、村を見下ろす高台の崖の上。
アベルは地面に両手を突き、声を上げて泣いた。たった数時間前まであった温かい日常も、不器用で優しい親方も、すべてを失った。
フードを外した金髪の少女――旅の魔術師を名乗るリアは、静かにアベルの傍らに寄り添った。
「……悲しむ時間は、多くありません。彼らの目的は、あなた、正確にはその『琥珀の守護石』です」
「これ、が……?」
アベルは胸元のペンダントを見る。
「それは数百年前に消えたはずの、光の血脈の証。常闇の王の封印が解けかけた今、彼らは光の芽を摘もうとしている。……世界はもう、かつての姿には戻りません」
リアは遠く、闇に包まれたエレディア大陸の先を見つめた。
アベルは涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
手にあるのは、親方が最後に持たせてくれた、一本の古びた鉄剣。
日常は崩壊した。しかし、親方が命を賭して守ってくれたこの命と、宿った謎の力がある。
「……行くよ」
アベルは低く、だが芯のある声で言った。
「親方がくれた命だ。ここで立ち止まるわけにはいかない。俺たちの世界を、あの化け物どもに渡してたまるか」
少年は、世界を救う旅人へと変わる。
東の空から、かすかに朝焼けの光が差し込み、二人の旅路を照らし始めていた。
(第1章・日常の崩壊 編 完)